土佐煮っ記

備忘録。

アイドルから考える宗教観

Twitterを眺めているとこんなツイートが流れてきた。

なぜ韓国のアイドルはダンスや歌のレベルが高いのかと考えたとき、チームとしてより高みを目指すK-popのアイドルと、個人として総選挙で身内に勝つことを目指す日本のアイドルで差が出るのは当然のことだよね、というのを経営会議で話した。

この方はnoteで改めてまとめられており、価値観や文化、市場環境など様々な要因があるだろうし、そもそも本当に韓国のアイドルの方が歌やダンスのレベルが高いのかという議論もあるよね、とおっしゃっています。

もちろん、日本のアイドルを貶しているわけでも、歌やダンスのレベル=アイドルのレベルと考えているわけでもでもなく、日本のアイドルも韓国のアイドルも両方素晴らしいよ!と思ってらっしゃると思う。


私も自粛期間中にNizi Projectにハマり、日本と韓国のアイドルの違いは感じていたので、それについて自分でも考えてみた。




まず、グループが結成される時点について考えてみた。


日本でも韓国でも、最初にプロデューサーがどんなグループを目指すかという方針を決めると思う。

しかし、日本ではその方針、つまり目指すグループ像はあくまで大雑把な方向性のようなもので、その方向に成長するポテンシャルを秘めた人物かどうかが選抜の基準になっているのではないか?


つまり、人物 を重視している。


選抜時点で見ているのはポテンシャルであり、未知数な部分が多いため、グループの活動を通してメンバーが成長すると、最初に設定されたグループ像とはズレが生じることがある。

その結果、ソロになったり、女優になったり、実業家になったりと別の道に進む人も出てくるのではないだろうか。



一方、韓国の場合、最初に設定される目指すグループ像が具体的で確固としたものなのではないか?

そして、それを表現するために必要な能力を持った人物が選抜されるのではないだろうか?


つまり、 能力 を重視している。


どんなに素晴らしい能力を持っていたとしても、それが目指すグループ像を表現するのに適さない場合、メンバーには選ばれないのではないだろうか。


Nizi Projectでは『世界に通用するガールズグループ』を生み出すことが目的だったが、J.Y.Parkさんの中では『世界に通用するガールズグループ』の定義が明確にあったと思う。

だから、歌やダンス以外に人柄という精神的な部分も、『世界に通用するガールズグループ』に必要な能力の1つとして評価対象となっていたんだと思う。



そして、このような違いはアイドルとして求められているものが日本と韓国で違うから生まれるのだと思う。





私たちはアイドルに何を求めているのだろう?


アイドル = idol = 偶像

【偶像】
1. 木・石・土・金属などで作った像。
2. 神仏をかたどった、信仰の対象となる像。
3. あこがれや崇拝の対象となるもの。「若者の偶像」
デジタル大辞泉より

つまり、アイドルを応援することは偶像崇拝なのでは?

日本では古来からあらゆるものに神が宿るという考えがある。そのため、形の無い能力ではなく、形ある個々の人物が重視されるのではないだろうか?

宗教の割合を調べると、日本では仏教、韓国ではキリスト教が多数派となっており(無宗教を除く)、キリスト教イスラム教、ユダヤ教では偶像崇拝が禁忌となっているようだ。


日本の宗教 - Wikipedia
大韓民国の宗教 - Wikipedia
偶像崇拝とは - コトバンク


これらの宗教では神を目に見える形にすることを禁じているため、アイドルそのものというより、アイドルが作る世界観のようなものに惹かれる傾向があるのではないか?
そういう文化的背景のある市場だからこそ、プロデューサーは能力を重視するのではないだろうか?

(韓国にも仏教徒はそれなりに多いが、調べてみると、そもそも仏陀偶像崇拝を認めていないらしい。あらゆるものに神が宿るという考えは、日本固有の「神道」という宗教に由来するものであり、仏教の考え方ではないようだ。)

(仏像は偶像崇拝ではないのか問題には人によって解釈が色々ありそうなのでまたいつか。)



無宗教が多いと言われる日本人にも、無意識のうちに宗教的な考えが根付いていると考えるとおもしろい。